コンテンツ・テキストデザイナー
安達 剛士
1982年、鳥取県生まれ。
北欧インテリアショップに10年以上勤務し、鳥取、東京で約8年間店長を経験。北欧の暮らしにある本質的な豊かさに魅了され、自分らしさを楽しめる暮らし、コーディネートを多数手掛けた。
2022年より故郷の鳥取に戻り有限会社フォーリア・インテリア事業部を設立。インテリアコーディネーター資格を持ち、空間ディレクションの他、暮らしを楽しむ発信を行うなど広くインテリアに携わる。
2児の父でありながら、子どものように好奇心旺盛なインテリア愛好家。
時代をつくる源となったデザインスクール
デンマーク家具全盛といわれる1940年代頃にはじまった一時代。そんな時代を牽引したデザイナーたちが生まれる中心となった場所が、デザインスクールです。そこで学んだ学生たちがその後も自分たちの道を突き詰め続け、数々の名作と、まつわる多くの物語も生むことになりました。
その代表的なスクールの一つ「デンマーク王立芸術アカデミー」は、1754年にコペンハーゲンに設立された芸術学校です。文字通りデンマーク国王によって設立され、その卒業生にはデンマークが誇る家具デザイナーや建築家ら、そうそうたる顔ぶれが並びます。
デンマーク王立芸術アカデミーで学んだデザイナーたち
まず物語のはじまりの重要な人物として、コーア・クリント(写真)の名を挙げなければなりません。1924年、設立間もない家具科の講師に着任し、その後1944年には家具科の初代教授に就任しました。そして彼に学んだ教え子として、後に2代目の家具科教授であるオーレ・ヴァンシャーやボーエ・モーエンセン、カイ・クリスチャンセン、オルラ・ムルゴー・ニールセンなどが挙げられます。特にコーア・クリントとボーエ・モーエンセンの関係はまさに“師弟関係”。その教えを忠実に自分のデザインへと受け継ぎ進化させるモーエンセンの姿は、“想いの継承”とも言えるでしょう。コーア・クリントは、「リ・デザイン」、「人間工学に基づいたデザイン」など、デンマークデザインの根源を成す事になるキーワードを基に、学生たちへその理論を伝えました。
一方で、家具科よりも古く王立アカデミー創設時からの歴史を持つ建築科からは、フィン・ユール、アルネ・ヤコブセン、ヴァ―ナー・パントンといった、彫刻作品のような芸術性を感じる印象的な作品を遺すデザイナーたちが輩出されました。彼らに共通することといえば、家具のデザインもまた自身が手掛ける建築や空間に融合させ、一体となる世界観をつくり出したことです。
数々のデザイナーを世に送り出したコペンハーゲン美術工芸学校
世に知られるデザイナーたちには、別のスクールで学んだ人物も多数います。特に、「コペンハーゲン美術工芸学校」で学んだデザイナーたちには、デンマーク家具人気を引き上げた立役者ともいえるハンス・J・ウェグナー(写真)をはじめ、ピーター・ヴィッツ、ポール・ケアホルム、ナナ・ディッツェル、グレーテ・ヤルクといった、こちらもデンマーク家具史を彩るトップランナーたちが名を連ねます。また、ボーエ・モーエンセンやオルラ・ムルゴー・ニールセンのように、コペンハーゲン美術工芸学校を卒業後にデンマーク王立芸術アカデミーへ進学して、よりアカデミックな知見を深めたデザイナーもいました。
デザイナー各々のデザインアプローチの違いは、ときにはお互いの批判の的にもなりました。いわゆる「クリント派」と「非クリント派」と呼ばれる流れがそれです。クリントに学んだ王立アカデミー家具科出身者と建築科出身者とでは、それぞれに異なるデザインアプローチの特徴を持っていました。前者は使いやすさを重視し、自身もマイスター資格を有するなど家具職人的な考え方を持ち、一方で後者は、彫刻的な芸術性に重きを置き、アーティスト的な考え方がベースにありました。ボーエ・モーエンセン(写真)は実際に、1962年に発表した『アートとクラフトの堕落』という論説の中で、非クリント派のデザイナーたちを批判したそうです。アプローチの異なる彼らは、時として持論を戦わせることもありました。
先人に学び、育つ環境
デザイナーの中には、後に講師や教授を務め後進の指導にもあたった人物もいました。王立芸術アカデミー家具科の歴代教授を並べてみても、初代がコーア・クリント、2代目オーレ・ヴァンシャー、3代目ポール・ケアホルム、4代目ヨルゲン・ガメルゴーと、デンマーク家具好きにはたまらない豪華な面々。また、アルネ・ヤコブセンも王立芸術アカデミー建築科で教授を務め、オルラ・ムルゴー・ニールセン、ハンス・J・ウェグナー、ピーター・ヴィッツ、グレーテ・ヤルクらはコペンハーゲン美術工芸学校で教鞭を執った経験を持ちます。
そして、仕事の場でもデザイナーたちの間にはさまざまな関係性が築かれました。雇用関係の中での学びであったり、デザイナー同士が互いに協業したり、親交を深めたり。そんな関係をもとに生まれた作品も多数あります。ヤコブセンがエリック・ムラーと共同で手掛けた「オーフス市庁舎」の設計には、その下で働くウェグナーの家具が使われました。
またパントンは、ヤコブセンの下で働く中、世紀の成功を収めた「アントチェア」の開発を間近に目の当たりにしていました。コペンハーゲン美術工芸学校夜間コースの学生であったケアホルムは、そこで講師を務めていたウェグナーに学び、さらに勉学に励む傍らでウェグナーの事務所でも非常勤所員として働き、デザインの見識を深めました。
第2次世界大戦を挟む激動の中、人々の暮らしや社会情勢も大きく変動したこの時代。それは、後に歴史に名を刻むこととなったデザイナーたちが、さまざまな人と出会い、切磋琢磨しながら自分のデザインを突き詰めていった時代でもあります。脚光を浴びる作品の背景には、隠れた人間模様や逸話がぎっしりと詰まっていました。
“デザイン”に身を捧げた人たちが起こした時代のうねりは、国民の暮らしの充実へ繋がったのとともに、国の文化や意識を向上させる大きな転機になったともいえます。同じ時代に活躍した人物たちとはいえ、年代の違い、師弟関係や雇用関係、そこに職人などのつくり手が絡むさまざまな人間関係もあります。そんな人と人の関係性を知ると、名高い偉人達もなんだか身近に感じてきます。
次回は、“デンマーク近代家具の父”とも称されるコーア・クリントにはじまるデンマーク家具の流れと、それを受け継いだデザイナーたちにスポットを当て、その人間模様を紐解きます。
参考文献
・流れが分かる!デンマーク家具のデザイン史 / 多田羅景太・著 / 誠文堂新光社 /2019 年