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2025.06.26 THU

名作北欧家具を生み出したデザイナーたちの「人となり」 VOL.6 フィン・ユール(Finn Juhl)- 後編

名作北欧家具を生み出したデザイナーたちの「人となり」  VOL.6 フィン・ユール(Finn Juhl)- 後編

多田羅 景太

1975年、香川県生まれ。京都工芸繊維大学デザイン・建築学系助教。京都工芸繊維大学造形工学科卒業後、デンマーク政府奨学金留学生としてデンマークデザインスクール(現デンマーク王立アカデミー)に留学。同校では、オーレ・ヴァンシャーやポール・ケアホルムに師事したロアルド・スティーン・ハンセンの下で家具デザインを学ぶ。デンマーク滞在中、スカンディナヴィアンファニチャーフェアなどの展覧会に出展。2003年、同校卒業後に帰国。08年までデザイン事務所にて、家具を中心としたインテリアプロダクトなどのデザインを手掛ける。現在、京都工芸繊維大学の他、尾道市立大学でも講師を務める。著書に『流れがわかる! デンマーク家具のデザイン史』(誠文堂新光社)。2022年に開催された「フィン・ユールとデンマークの椅子」展(東京都美術館)において学術協力および会場デザインを担当。

前編に続いて、後編でもフィン・ユールのデザインを通して彼の「人となり」に迫りたいと思います。

フィン・ユールの展覧会

2022年の7月23日から10月9日にかけて、東京都美術館において「フィン・ユールとデンマーク椅子」展が開催されました。本展覧会は、新型コロナウイルスによる行動制限が、まだ完全には解除されていない状況の下で開催されましたが、幸いにも臨時閉館や入場制限が設けられることなく、会期中には6万5千人を超える来場者が訪れました。私はこの展覧会に学術協力者および会場デザイナーとして携わりましたが、個人的にもフィン・ユールのことを改めて理解する非常によい機会となりました。展覧会の最終章にはデンマークの椅子に実際に座ることができるエリアが設けられましたが、本コラムでは、その中でも特に人気の高かったフィン・ユールのチーフティンチェアについて解説したいと思います。

賛否を呼んだ酋長の椅子

チーフティンチェアはフィン・ユールによって1949年にデザインされた一人掛けの大きなラウンジチェアです。コペンハーゲンの美術工芸博物館(現デザインミュージアムデンマーク)で開催されたキャビネットメーカーズギルド展において、ニールス・ヴォッダーによって作られたチーフティンチェアが展示されました。オープニングセレモニーでは、当時のデンマーク国王フレデリック9世がお掛けになられたのですが、新聞記者から椅子の名前を聞かれたフィン・ユールは、キングスチェア(王様の椅子)というのはあまりに短絡的過ぎるので、あえてチーフティンチェア(酋長の椅子)と答えたというエピソードが残されています。一方でフィン・ユールに批判的な保守的なメディアからは、チーフティンチェアの大きなひじ掛けを指して、物干竿に大きなカツレツが引っ掛かったような椅子だと揶揄されました。また、美術工芸博物館の購入作品にノミネートされたものの、家具職人組合の幹部から、ひじ掛けの下地に鉄板を使用しているという指摘があり、展覧会の展示対象とされていた木製椅子ではないという判断の下、購入候補から除外されるという事件にまで発展しています。このように発表直後から注目を集めたチーフティンチェアですが、酋長の椅子という名にふさわしく、世界各国のデンマーク大使館にも納められました。

製造を引き継いだメーカー

チーフティンチェアは1949年から1971年までニールス・ヴォッダー工房で製造されましたが、その後は、イヴァン・シュレクター工房(1972-1988)、ニールス・ロス・アナセン工房(1988-2000)、ワンコレクション(2000-現在)によって製造が引き継がれました。なお、イヴァン・シュレクター工房製のチーフティンチェアの木製フレームは、当時の下請け工房であったPPモブラー[i]で職人として働いていたボーエ・モーエンセンの父親バルナ・モーエンセンによって作られています。

アメリカ製のチーフティンチェア

フィン・ユールは1950年代に入るとアメリカでの活動に力を入れる様になり、ミシガン州に製造拠点を構えていたベイカーファニチャーと1951年にデザイナー契約を交わしています。既に発表されていた作品の一部も、アメリカ市場向けにベイカーファニチャーによって製造されるようになり、その中にはチーフティンチェアも含まれていました(1951-1957、1998-2000)。しかしベイカーファニチャー製のチーフティンチェアには、製造効率を重視したアレンジが成されており、木部同士の接合方法など細かなディテールに違いを確認することができます。

アメリカへの進出をきっかけに、デンマークの保守的かつ伝統的な家具作りに限界を感じるようになったフィン・ユールは、徐々に近代的な設備を用いた効率的な家具作りへとシフトしていきました。ベイカーファニチャー製のチーフティンチェアにみられるディテールの変更も、製造効率を考慮して容認したのだと考えられます。同時期にハンス J. ウェグナーもアメリカの家具メーカーからデザイナー契約の打診を受けましたが、自らの目が届かないアメリカでの製造を受け入れることができなかったウェグナーは、この申し出を断っています。

フィン・ユールの量産家具

一方のフィン・ユールは、デンマークにおいても近代的な設備を活用した量産家具を得意とするフランス&ダヴァーコセン[ⅱ]とデザイナー契約を交わし、スペードチェア(1953)やFD136(1956)などを発表しました。ディテールを簡素化しながらも量産家具とは思えないフィン・ユールらしい雰囲気を持ち合わせてこれらのモデルは、アメリカを中心に数多く輸出されました。また1962年にはチーフティンチェアを彷彿とさせるブワナチェアが発表されています。ブワナとはアフリカ東岸部で広く話されるスワヒリ語で主人を意味する言葉です。チーフティンチェアと同様に威厳が感じられる雰囲気をもつブワナチェアですが、より量産に向いたデザインとなっています。

時代を超越したデザイン

このようにフィン・ユールは時代の変化にあわせてデザインを変化させてきましたが、彼の美的感覚が最も発揮されたのは、やはりニールス・ヴォッダーとの協働によって生まれた作品といえるでしょう。その中でも重厚な存在感を放ち続けるチーフティンチェアは、時代を超越した唯一無二の一脚に違いありません。


[i] 伝統的なクラフトマンシップを大切にしながら、ハンス J. ウェグナーの家具を製造するメーカー。創業からしばらくは、下請け工房として活動していた。

[ⅱ] エリック・ダヴァーコセンとチャールズ・フランスによって設立された家具メーカー。後にフランス&サンに社名を変更している。

fremtiden

「fremtiden」はデンマーク語で
「未来へ」を意味する言葉。
私たちの決意と願いを込めて名付けました。

携わるすべての人たちが心豊かに過ごすために
「過去〜今〜未来」への道のりを
美しいところも、今起きている課題も
すべて正直に、皆等しく伝えます。

お店を通して、育てる人、作る人、使う人
みな理解し合い
ものにまつわるすべてを、
大切に丁寧に愛着をもって作り
使い、育て、次の世代へ
繋げていくことを願っています。

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