コンテンツ・テキストデザイナー 安達 剛士
1982年、鳥取県生まれ。
北欧インテリアショップに10年以上勤務し、鳥取、東京で約8年間店長を経験。北欧の暮らしにある本質的な豊かさに魅了され、自分らしさを楽しめる暮らし、コーディネートを多数手掛けた。
2022年より故郷の鳥取に戻り有限会社フォーリア・インテリア事業部を設立。インテリアコーディネーター資格を持ち、空間ディレクションの他、暮らしを楽しむ発信を行うなど広くインテリアに携わる。
2児の父でありながら、子どものように好奇心旺盛なインテリア愛好家。
デザインに生きた人々の物語
1940年代~1960年代は、デンマーク家具黄金期ともいわれる時代。その時代を彩った名作誕生の背景には、デザイナーを中心としたさまざまな人間関係と、私たちにとっても身近に感じられるストーリーがたくさん詰まっています。そんな人々にスポットをあて、人物相関図をもとに北欧デザインの魅力を紐解く物語です。
人々の心を掴んだFDBモブラー
連載を通して、デザイナーとメーカーや工房の代表的な協力関係をご紹介してきましたが、それとは異なるかたちでデザインと向き合う人たちがいたこともまた、デンマーク家具の歴史といえます。それが、〈FDBモブラー〉で活躍したデザイナーたちです。
1866年、一般の人々の日常生活に寄与する目的でデンマーク最初の生活協同組合が生まれました。そして30年後の1896年には、デンマーク国内全体を網羅する組織として、「Fallesforeningen for Danmarks Brugsforeninger(デンマーク生活協同組合連合会)」(※略称「FDB」)が誕生します。その後半世紀を経て1942年、インテリアの視点から国民の生活水準向上を図るため家具部門として立ち上げられたのが、〈FDBモブラー〉です。当時のFDBの組合員は40万人程にまで成長。国民人口が約390万人とされていたことを考えると、約10人に1人が会員だった計算になります。
FDBモブラーが掲げたブランド方針は、「丈夫で、美しく、座り心地が良い、そして手頃な価格」。デザイナーたちの視線の先には、常に一般市民の暮らしがありました。初代の企画デザイン担当責任者に就任したボーエ・モーエンセンや、ハンス・J・ウェグナーなど名だたるデザイナーも加わったこのプロジェクトは、手の届く豊かな暮らしを提供し、新たな価値観を広める、とても大きな役割を果たしました。ブランドの誕生した1942年から1960年代にかけて、FDBモブラーには歴代4人のデザイン責任者が在籍しました。初代のボーエ・モーエンセン以降、ポール・M・ヴォルタ、アイヴァン・A・ヨハンソン、ヨーエン・ベックマークと繋がった系譜の中で、企業としての一貫したポリシーも受け継がれていきます。
語り継がれるボーエ・モーエンセンの功績
FDBの会長であったフレデリック・ニールセンとともにFDBモブラーを設立した、建築家のスティーン・アイラー・ラスムッセンは、そのプロジェクトの初代責任者として、当時28歳と若かったボーエ・モーエンセンを推薦します。すでにキャビネットメーカーズギルド(家具職人組合)の展覧会で話題となっていたモーエンセンの展示が、アイナー・ラスムッセンの追い求める暮らしに重なったのです。この誘いに当初は疑念を抱いていたモーエンセンでしたが、すぐにニールセンと意気投合。FDBモブラーの初代企画デザイン担当責任者としての第一歩を踏み出します。
1947年には、今でも彼の代表作として語られる「J39」を発表。“People`s chair(庶民の椅子)”とも呼ばれるこのデザインは、まさにFDBモブラーが掲げる、“手の届く価格での良質な家具”を体現しているといえます。そんなモーエンセンの家具づくりの裏には、徹底的にデザインと向き合う姿がありました。もはや実験室となっていた自宅では、実際に家族をも巻き込んで作品のテストを行なったといいます。彼の活躍もあり、FDBは衣食住の暮らし全般において、人々に快適で新しい暮らしを提供していきました。モーエンセンの仕事に対するあまりにもストイックな姿勢は、後のFDBモブラー社内でも語り継がれていたといいます。
しかし時は流れ、1950年。ニールセンがFDBの会長職を退くと、モーエンセンと会社との関係にも不和が生じ、彼もFDBモブラーから離れることを決めました。
ブランドの想いを受け継いだデザイナーたち
そしてボーエ・モーエンセンの後を継いで、2代目の企画デザイン担当責任者の職務に就いたのがポール・M・ヴォルタです。家具工房での修行経験もあるヴォルタは、1949年にハンス・J・ウェグナーの薦めで、FDBモブラーへ入社しました。27歳にしてモーエンセンからのバトンを受け取ったヴォルタもまた、人々のための家具づくりを推し進めました。特に、FDBモブラーから1956年に発表されたJ46は、当時85万脚を販売するほどの大ヒット作となり、国内において広く知られるチェアとなります。驚くべきことに、それは人口との割合で見ると5人に1人が使っていたほどの数字になります。ヴォルタにとっても、FDBモブラーにとっても、代表作のひとつとなりました。
その後、企画デザイン担当責任者のポストは、1956年からアイヴァン・A・ヨハンソン、1958年からはヨーエン・ベックマークへと引き継がれます。時代も変わっていく中で、ベックマークは、海外輸出用に組み立て式の家具デザインにも力を注ぎました。いかに効率よく、良質で、手頃な価格を開発するかは、FDBモブラーのデザイナーにとって常に向き合うべき課題でした。こうした企業の中でそのポリシーに真摯に向き合ったデザイナーたちの存在もまた、当時のデンマーク家具黄金期を築く礎となっていたのです。
責任者を務めた4人のデザイナーたちは、FDBモブラーを去った後、それぞれに自分が追い求めるデザインの道を進んで行きました。
FDBモブラーの終焉、そして復活
やがてFDBモブラーの一時代にも終わりが訪れます。デンマーク国内の情勢も変化し、景気が上向くとともに人々の暮らしも多様化していきました。家具への価値観も変わっていく中で、デンマーク家具全体として人気の陰りが見えてきます。FDBモブラーのオフィスもベックマークが責任者を務めたのを最後に、1968年に閉鎖されることとなり、1970年代に入ると、工場、デザインにかかる権利も売却されるに至りました。
さらに時が経ち、1990年代以降、デンマーク家具にまた新たな局面が訪れます。フィン・ユールやハンス J.ウェグナーといった黄金期を築いたデザイナー作品が再び世界で脚光を浴び始めたのをきっかけに、デンマーク家具を取り巻く環境も変化していくこととなります。国内でも改めて家具へ関心が向けられ、その機運も高まっていきました。
そんな中、かつてFDBモブラーから発売されたデザインも、また市場に戻ってきます。デザインライセンスを受け継いだ〈フレデリシアファニチャー〉や新興ブランド〈HAY〉などによって、続々とデンマーク家具全盛の時代に生まれたデザインが甦りました。そして2014年には、〈FDBモブラー〉もブランドとして復活を遂げます。四半世紀の時を経て、FDBモブラーの歴代責任者4人のデザインが、ブランドの枠を越えて現代の人々の暮らしに提供される時代が到来したのです。デザインにスポットが当たることはまた、デザイナーのそこに込めた想いにも触れる機会となります。
参考:
・流れが分かる!デンマーク家具のデザイン史 / 多田羅景太・著 / 誠文堂新光社 /2019 年