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2023.11.02 THU

Vol.5 デザイナーと協力者たち(後編)

Vol.5 デザイナーと協力者たち(後編)

コンテンツ・テキストデザイナー 安達 剛士

1982年、鳥取県生まれ。
北欧インテリアショップに10年以上勤務し、鳥取、東京で約8年間店長を経験。北欧の暮らしにある本質的な豊かさに魅了され、自分らしさを楽しめる暮らし、コーディネートを多数手掛けた。
2022年より故郷の鳥取に戻り有限会社フォーリア・インテリア事業部を設立。インテリアコーディネーター資格を持ち、空間ディレクションの他、暮らしを楽しむ発信を行うなど広くインテリアに携わる。
2児の父でありながら、子どものように好奇心旺盛なインテリア愛好家。

デザインに生きた人々の物語

1940年代~1960年代は、デンマーク家具黄金期ともいわれる時代。その時代を彩った名作誕生の背景には、デザイナーを中心としたさまざまな人間関係と、私たちにとっても身近に感じられるストーリーがたくさん詰まっています。そんな人々にスポットをあて、人物相関図をもとに北欧デザインの魅力を紐解く物語です。

情熱を支えるパートナー〈フリッツ・ハンセン〉

前編では、デザイナーと量産対応できるメーカーのパートナー関係(メーカータイプ)について、代表的な例を取り上げました。そして最後にもう一つ、メーカータイプの例をご紹介します。

それは、アルネ・ヤコブセンと〈フリッツ・ハンセン〉の関係です。1872年創業の〈フリッツ・ハンセン〉は、1920年代にいち早くスチーム曲げ木技術を確立。1931年にはデンマーク初のスチール家具を発表し、コーア・クリントら先進的な建築家や家具デザイナーとの協業も開始しました。〈フリッツ・ハンセン〉とヤコブセンといえば、誰もが真っ先に連想するほどの強い結びつきをイメージするパートナー関係。そのコラボレーションは、1934 年、ヤコブセンが手掛けた リゾート開発プロジェクトのひとつ、ベルビューシアター レストランに採用した「クランペンボーチェア」の誕生に始まります。

    1920年代にはスチーム曲げ木技術を確立したとされるフリッツ・ハンセン

それは、1952年。チャールズ&レイ・イームズ夫妻が1945年に発表した成形合板の椅子「LCW」に影響を受けたヤコブセンは、その技術をさらに進化させた背座一体の成形合板チェアの開発に取り組み始めます。そんなヤコブセンにとって、1947 年発表のAX シリーズなど、すでに成形合板による家具の開発を推し進めていた〈フリッツ・ハンセン〉は、この上ないパートナーでした。

ノヴォ ノルディスク社の社員食堂用にデザインされたこの革新的な椅子の開発には様々な障壁がありましたが、ヤコブセンのこの椅子に対する絶対的な自信も後押しとなり、製品化に至りました。その結果、ヤコブセンと<フリッツ・ハンセン>それぞれにとっても、歴史においても大きな1脚を誕生させることとなりました。

アルネ・ヤコブセンはデンマーク家具に新しい風を吹き込んだデザイナー。〈フリッツ・ハンセン〉との協働で多くの名作を生み出した。

そこで生まれたのが「アリンコチェア」です。このチェアは世界で最もよく知られるチェアの一つ「セブンチェア」の原点となった名作。ヤコブセンのあくなき情熱と、それを支えた〈フリッツ・ハンセン〉の関係は、デンマークモダン家具を牽引してきた代表的な協業のひとつといえます。そして両者のコラボレーションは、SASロイヤルホテル(現:ラディソン・コレクション・ロイヤルホテル)のためにデザインした家具など、北欧デザインのアイコンとも言える作品として現代に受け継がれています。

        アルネ・ヤコブセンの作品の中でも、ターニングポイントとなった「アリンコチェア」
  北欧家具の代表的なアイコンともいえる「セブンチェア」

異端な発想をかたちに〈ニールス・ヴォッダー工房〉

一方で、”工房タイプ”のパートナー関係もご紹介していきましょう。まず語る上で欠かせないのが、フィン・ユールと〈ニールス・ヴォッダー工房〉の協働です。デンマーク王立芸術アカデミー建築科出身のフィン・ユールの作品は、当時、家具科のコーア・クリントの門下生を中心としたデザイナーたちとは一線を画し、異端な存在とされていました。

ユールの造形的で美しい曲線を描くデザインの数々は、よく”彫刻的”とも表現されます。ただ、家具職人のマイスター資格を持たないユールにとって、彼が思い描くデザインを実際にかたちにするには、強力なパートナーが必要でした。そんなユールの希望を叶えることのできた家具職人、ニールス・ヴォッダーは、ユールの良き理解者でもあったといえます。

フィン・ユールと〈ニールス・ヴォッダー工房〉によるコラボレーションの代表作〝チーフティンチェア“

現在でも一級品として扱われるユールの作品の多くが、職人であるヴォッダー抜きにしては誕生していなかったかもしれません。先鋭的な発想に基づくユールのデザインが世に知られることとなったのには、〈ニールス・ヴォッダー工房〉ならではの高い木工技術があったからこそだったのです。一方、そんなユールの作品の認知が広がることで、〈ニールス・ヴォッダー工房〉は時代を代表する工房として、後世にも語り継がれることとなりました。お互いが秘める可能性を引き出し合うようなパートナー関係は、時代を経て尚、圧倒的な存在感を見せるデザインの数々を生み出すこととなりました。

若きウェグナーに寄り添った工房〈ヨハネス・ハンセン工房〉

前編で紹介したように、ハンス J.ウェグナーには“メーカータイプ”の多くの協力者(パートナー)がいました。その一方で、ウェグナーには”工房タイプ”のパートナーとの協働によって生まれたデザインも多数あります。その代表的な存在として挙げられるのが〈ヨハネス・ハンセン工房〉です。この関係が生まれた背景には、ウェグナーの恩師、オルラ・ムルゴー・ニールセンの存在が大きく影響しています。ウェグナーと職人 ヨハネス・ハンセンは、ニールセンを介して知り合い、1940年代からその関係性を深めていきます。

1947年、ウェグナーは、ニールセンの紹介によって母校のコペンハーゲン美術工芸学校で教鞭を取ることになりました。そしてその傍ら、夜間は〈ヨハネス・ハンセン工房〉で新たな家具の開発に取り組むという日々を過ごしまました。そんな中で生まれた作品が、JH550(現:PP550)”ピーコックチェア”やJH501(現:PP501、PP503)”ザ・チェア”です。これらの作品は、〈ヨハネス・ハンセン工房〉の職人、ニルス・トムセンとの協業によって生まれたもの。意気投合した彼らの協力タッグにより、ウェグナーだけでなく〈ヨハネス・ハンセン工房〉の名前も、世に広く知られることとなりました。そんな協働関係は1960年代半ばまで続きました。

伝統的なウィンザーチェアをリデザインし、座り心地を改良したピーコックチェア

その後、時代の流れとともに〈ヨハネス・ハンセン工房〉も経営が困難となり、1990年頃に廃業となります。そして、1991年、〈ヨハネス・ハンセン工房〉が所有するウェグナー家具のライセンスを引き継ぐこととなったのが〈PPモブラー〉です。

ウェグナーの不朽の名作を後世に残す工房〈PPモブラー〉

1953年に創業した〈PPモブラー〉は、家具職人であるアイナ・ペダーセンとラース・ペダーセン兄弟が営む小さな工房でした。1950年代に入り世界的にも認知の広まったデンマーク家具は、全盛の時代を迎えます。そんな状況下で、〈PPモブラー〉は〈APストーレン〉や〈ゲタマ〉といった〈サレスコ〉に参加していた工房などの下請けの仕事にも対応していました。本格的にウェグナーとの協働が始まるのは1960年代からで、1969年にウェグナーのデザインしたPP201、PP203が、〈PPモブラー〉から発表されました。

           1969年に発表されたPP201。今もPPモブラーで生産されている。

〈PPモブラー〉は、今現在でも国内で製造を続け、デンマークの高いクラフツマンシップを世界に発信するブランドです。そして、ウェグナーのデザインはブランドの中でも象徴的な存在となっています。1970年代以降、デンマーク家具の工房の多くが廃業していく中で、1970年代に〈アンドレアス・ツック〉から、また1991年に〈ヨハネス・ハンセン〉から、そして他のメーカーなどからも、ウェグナー家具の製造ライセンスを引き継ぎました。家具デザイナーでありながら、家具職人のマイスター資格を持つウェグナーにとって、自身の作品を世に出すためのパートナーを選ぶ目は、きっと厳しいものだったことでしょう。そんなウェグナーの家具におけるライセンスを引き継いだことからも、ウェグナーが〈PPモブラー〉を深く信頼していたことが窺えます。このようにしてデザイナーの想いが受け継がれていくかたちもあるのです。

前編から後編に渡ってデザイナーとそのパートナーの関係性をいくつかご紹介してきました。ただ、当時のデンマークにはこの何倍もの家具工房が存在していたのも事実です。デンマークモダン家具の全盛期を経て、1970年代以降にだんだんと姿を消していった工房たち。そこには、今となっては語られることのないさまざまな人と人のつながりもあったはずです。今はもう製造されることのないデザイン、今でもなお受け継がれているデザイン。そのひとつひとつの作品には、デザイナーだけに留まらず、それに関わってきた人々の想いも込められているのです。


参考:
・流れが分かる!デンマーク家具のデザイン史 / 多田羅景太・著 / 誠文堂新光社 /2019 年
・Fritz Hansen Heritage Museum Tokyo 2017 ブックレット

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fremtiden

「Fremtiden」はデンマーク語で
「未来へ」を意味する言葉。
私たちの決意と願いを込めて名付けました。

携わるすべての人たちが心豊かに過ごすために
「過去〜今〜未来」への道のりを
美しいところも、今起きている課題も
すべて正直に、皆等しく伝えます。

お店を通して、育てる人、作る人、使う人
みな理解し合い
ものにまつわるすべてを、
大切に丁寧に愛着をもって作り
使い、育て、次の世代へ
繋げていくことを願っています。

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