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2024.06.20 THU

北欧家具の名作を生み出したデザイナーたちの「人となり」 VOL.1 ポール・ケアホルム(Poul Kjærholm)- 前編

北欧家具の名作を生み出したデザイナーたちの「人となり」 VOL.1 ポール・ケアホルム(Poul Kjærholm)- 前編

多田羅 景太

1975年、香川県生まれ。京都工芸繊維大学デザイン・建築学系助教。京都工芸繊維大学造形工学科卒業後、デンマーク政府奨学金留学生としてデンマークデザインスクール(現デンマーク王立アカデミー)に留学。同校では、オーレ・ヴァンシャーやポール・ケアホルムに師事したロアルド・スティーン・ハンセンの下で家具デザインを学ぶ。デンマーク滞在中、スカンディナヴィアンファニチャーフェアなどの展覧会に出展。2003年、同校卒業後に帰国。08年までデザイン事務所にて、家具を中心としたインテリアプロダクトなどのデザインを手掛ける。現在、京都工芸繊維大学の他、尾道市立大学でも講師を務める。著書に『流れがわかる! デンマーク家具のデザイン史』(誠文堂新光社)。2022年に開催された「フィン・ユールとデンマークの椅子」展(東京都美術館)において学術協力および会場デザインを担当。

キャリアの出発点は木工職人

木製家具が多いデンマークの中で、金属製の家具を数多くデザインした異色の存在がポール・ケアホルム(1929-1980)です。

1929年にユトランド半島北部の小さな町ヴスタヴォーで誕生したケアホルムですが、幼い頃に負った大きな怪我が原因で左足に障がいが残りました。息子の将来を不安に思った父親の勧めもあり、ケアホルムは15歳のときに地元の木工マイスターに弟子入りします。後に金属を巧みに操るデザイナーとして名を馳せたケアホルムでしたが、キャリアの出発点は木工職人でした。しかしながらこの時に学んだクラフトマンシップが、後のデザイナーとしての活動に大きく影響しています。

美術工芸学校での出会い

1949年にコペンハーゲンの美術工芸学校に進学したケアホルムですが、家具科の教員として後進の育成に努めていたハンス J. ウェグナー(1914-2007)と出会います。当時のウェグナーはCH24(Yチェア)やザ・チェアをデザインした頃で、デンマークを代表する家具デザイナーのひとりとして頭角を現していました。ケアホルムの才能を認めたウェグナーは、自身のデザイン事務所の非常勤スタッフとして雇い入れています。当時の美術工芸学校にはウェグナーの他にも、シドニーのオペラハウスやキンゴーハウスなどの設計で知られる建築家のヨーン・ウッツオン(1918-2008)や、家具デザイナーのアイナー・ラーセン(1917-1987)、アクセル・ベンダー・マドセン(1916-2000)らが教員として在籍しており、ケアホルムは恵まれた環境で家具デザインを学びました。

ハンス J.ウェグナー

海外への視線

デンマークを代表する家具デザイナーの中でもケアホルムは比較的若い世代にあたり、第二次世界大戦後に学生時代を過ごしています。そのため海外のデザイン情報も入手しやすかったのか、世界のデザイン動向にも関心を持っていたようです。当時アメリカで活躍していたイームズ夫妻による椅子も、デザイン雑誌などを通じて目にしていたのでしょう。自宅アパートでイームズのLCMに座り、卒業制作としてデザインしたPK25を眺めている写真が残されています。

PK25を眺めるケアホルム

分厚い鉄板に切れ目を入れて曲げるという極めてシンプルな発想でデザインされたPK25ですが、ケアホルムによる金属製家具の方向性を明確に示す作品となりました。

PK25

また、この頃デザインした成形合板の椅子PK0には、イームズのLCWの特徴が色濃く反映されています。当時のケアホルムは伝統的な無垢の木材ではなく、バウハウスにおけるモダニズム家具の象徴である金属や、当時新素材として注目されていた成形合板を活用することで、家具デザインの新たな可能性を模索していたと考えられます。

PK0

PK0のデザインに革新性を感じたケアホルムは、フリッツ・ハンセンに製品化を提案します。しかし、複雑な曲線で構成されたPK0を当時の技術で量産することは難しく、残念ながら製品化には至りませんでした[i]。この出来事に失望したケアホルムでしたが、その眼差しはシャープでモダンな造形を表現できる金属製の家具へと向けられました。

洗練された金属製の家具

デザイナーとして最も充実していた20代後半から30代後半にかけてPK1、PK22、PK 24、PK 20など、金属製の名作家具を数多くデザインしています。いずれの作品もケアホルムの審美眼によって極限まで洗練されたデザインとなっており、接合部のネジに至るまで細やかな配慮がなされました。そこには修行時代に学んだデンマーク伝統のクラフトマンシップが宿っています。美しさと緊張感が同居したようなケアホルムの作品ですが、人の肌が触れる箇所には金属ではなく革やラタン(籐)など温かみのある天然素材が使われました。

PK22のディテール

1963年には建築家の妻ハンネ・ケアホルム(1930-2009)によって設計された自邸が完成します。海に面したメインルームにはポール・ケアホルムがデザインした家具が配置され、ダイニング、リビング、書斎の機能が緩やかにゾーニングされました。リビングの窓際に置かれたシェーズロング(寝椅子)PK24に寝転びながら、デンマークとスウェーデンに挟まれたオアスン海峡を眺めたことでしょう。

PK24

隠された一面

タバコの煙を燻らせながら常に考え事をしているような寡黙な性格のケアホルムでしたが、スペインの闘牛士に憧れるという意外な一面もあったようです。また、家族旅行で訪れたスペインのバーで撮影された写真には、優しい眼差しで家族を見つめる父親としての表情も収められました。

1976年にオーレ・ヴァンシャーの跡を継いでデンマーク王立芸術アカデミー家具科の3代目教授となったケアホルムでしたが、1980年に肺がんのため51歳という若さで亡くなります。あと10年デザイナーとして活動していたらケアホルムの成熟した感性によってどのような名作が生まれていたのか、興味は尽きません。


[i]フリッツ・ハンセン創業125年を記念して1997年に600脚限定で製造されました。2022年以降「PK0 A」として復刻生産されるようになり、現在でも購入することができます。

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fremtiden

「Fremtiden」はデンマーク語で
「未来へ」を意味する言葉。
私たちの決意と願いを込めて名付けました。

携わるすべての人たちが心豊かに過ごすために
「過去〜今〜未来」への道のりを
美しいところも、今起きている課題も
すべて正直に、皆等しく伝えます。

お店を通して、育てる人、作る人、使う人
みな理解し合い
ものにまつわるすべてを、
大切に丁寧に愛着をもって作り
使い、育て、次の世代へ
繋げていくことを願っています。

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