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2026.01.29 THU

名作北欧家具を生み出したデザイナーたちの「人となり」 VOL.13 ナンナ・ディッツェル(Nanna Ditzel)- 前編

名作北欧家具を生み出したデザイナーたちの「人となり」  VOL.13 ナンナ・ディッツェル(Nanna Ditzel)- 前編

多田羅 景太

1975年、香川県生まれ。京都工芸繊維大学デザイン・建築学系助教。京都工芸繊維大学造形工学科卒業後、デンマーク政府奨学金留学生としてデンマークデザインスクール(現デンマーク王立アカデミー)に留学。同校では、オーレ・ヴァンシャーやポール・ケアホルムに師事したロアルド・スティーン・ハンセンの下で家具デザインを学ぶ。デンマーク滞在中、スカンディナヴィアンファニチャーフェアなどの展覧会に出展。2003年、同校卒業後に帰国。08年までデザイン事務所にて、家具を中心としたインテリアプロダクトなどのデザインを手掛ける。現在、京都工芸繊維大学の他、尾道市立大学でも講師を務める。著書に『流れがわかる! デンマーク家具のデザイン史』(誠文堂新光社)。2022年に開催された「フィン・ユールとデンマークの椅子」展(東京都美術館)において学術協力および会場デザインを担当。

数少ない女性デザイナー

デンマークのモダン家具デザイン黄金期は、男性の家具デザイナーや建築家、そして男性の家具職人が多数を占めていた時代でした。ナンナ・ディッツェルは、その中で活躍した数少ない女性家具デザイナーの一人です。ナンナは三人姉妹の末娘として1923年にコペンハーゲンで誕生しました。アートやデザインに関心のあった母親の影響からか、二人の姉はそれぞれ陶芸家と服飾デザイナーとなり、末っ子のナンナは家具デザイナーを目指します。高校を卒業したナンナは、家具職人養成学校に入学して修業を積みました。その後、美術工芸学校に入学したナンナは、同級生のヨルゲンと意気投合し、共同でデザインを手掛けるようになります。プライベートでも行動を共にするようになった二人は、美術工芸学校を卒業した1946年に結婚し、共同でデザイン事務所を設立しました。

パディッドシェル(1952)、壁面写真の右からヨルゲンとナンナ

希望に満ちた日々

ナンナとヨルゲンは家具の他にも、テキスタイル、ガラス、陶器、ほうろう製品、金属アクセサリーなどによって多数のコンペティションで入賞を重ね、1951年、54年、57年のミラノ・トリエンナーレではシルバーメダルを、さらに60年にはゴールドメダルを獲得しています。1950年代には籐編みの家具をいくつか発表していますが、その中でも代表的なものがハンギングエッグチェアでしょう。卵型に編まれたゆりかごのような椅子は、その心地よい揺らぎと囲まれることによる安心感から多くの人々に愛されています。籐編みのため通気性もよく、高温多湿の日本の気候にも適しているといえます。これらの活躍が評価された二人は、1956年にルニング賞[i]を獲得しました。

ハンギングエッグチェア

ヨルゲンとの別れ

このように順風満帆な活動を続けてきたナンナとヨルゲンでしたが、1961年にヨルゲンが胃癌を患い、妻と幼い三人娘を残して40歳という若さで他界してしまいます。夫であり仕事のパートナーでもあったヨルゲンを亡くしたナンナは、ひどく落ち込みましたが、自らの気持ちを奮い立たせてデザイナーとしての活動を続けていきます。

日常から生まれたデザイン

デザイナー業の傍ら母として過ごす日々の経験から、1960年代前半にはゆりかごのルル・クレイドルや、トリッセンシリーズ(1962~63年)など子供向けの家具をデザインしています。トリッセンシリーズは、木工旋盤を活用した同心円状のデザインが特徴ですが、子供用だけではなく、大人用のサイズや2脚を重ねたようなバースツールもデザインされました。シンプルでありながらバリエーションが豊富なその形状は、優れたデザインの証といえるでしょう。トリッセンシリーズの成功などにより活力を得たナンナは、1962年から65年にかけてロンドン、ニューヨーク、ベルリンなど世界各地で個展を開催します。デンマークモダン家具デザインに対する世界中からの注目を追い風に個展は成功し、活動の範囲を世界に広げていきました。

トリッセンシリーズ 
トリッセンシリーズのオリジナル図面

ロンドンでの挑戦

1968年にはロンドンで大きな家具ショップを経営するカート・ハイデと再婚し、活動の拠点をコペンハーゲンからロンドンに移します。ナンナは、カートと共にインタースペースという会社を設立し、ショールームとデザイン事務所を設けて精力的に活動を続けました。ロンドンでは、従来扱ってきた木材や籐に加え、当時まだ新素材であったFRP[ⅱ]や硬質発泡ウレタンを活用して新たな家具のデザインに挑戦します。長年の国際的な活動が認められたナンナは1981年にロンドンのデザイン産業協会の会長に就任し、イギリスの産業デザイン発展にも貢献しました。

二度目の別れと故郷への復帰

ロンドンでのデザイン業界にも顔なじみが増え、公私ともに充実していたナンナでしたが、夫のカートが癌に侵され65歳で他界してしまいます。前年にインタースペースを売却し、引退後の生活を二人でゆっくり楽しもうと計画していた矢先の出来事でした。一度は引退も考えたナンナでしたが、故郷のコペンハーゲンに戻って再出発することを決心します。1986年にコペンハーゲンの中心部にあるストロイエ通りの近くにデザイン事務所兼自宅を構え、残りの生涯をここで過ごしました。

新技術の活用

1992年にはPPモブラーと協力してS・E展[ⅲ]に参加し、アッシュ材のコンプレストウッド(圧縮材)[iv]と成型合板を活用したファンチェアを出展します。座面と背板に放射状に伸びるスリットが美しい椅子でしたが、スリット加工に手間がかかるのと、脚部の強度に不安があり、残念ながらその時は製品化まで至りませんでした。しかし、NC加工機を用いることでスリット加工を効率化し、脚部をスチールパイプ製にすることでこれらの問題を克服します。その結果、トリニダードシリーズとして、1993年にフレデリシアより製品化されました。

ファンチェア
トリニダードチェア

デンマーク家具デザイン界のファーストレディー

1995年には長年の功績が認められ、デンマーク王室よりダンネボルグ勲章が授与されます。さらに1996年にはイギリス王室より、名誉王室デザイナーに選ばれました。2000年以降も新作を発表しデンマークを代表するベテランデザイナーとして精力的に活動していましたが、2005年に82歳で老衰のため他界します。若い頃は男性中心の家具業界でその才能を開花させ、後にロンドンで国際的なデザイナーとして羽ばたき、晩年は故郷コペンハーゲンでデザイン業界の発展に努めたナンナの活躍は、デンマークの女性デザイナーが男性と対等の立場で活動できる土台を築いたといえるでしょう。ナンナ・ディッツェルは、まさにデンマーク家具デザイン界のファーストレディーと呼ぶにふさわしい人物です。


[i] ニューヨーク5番街でジョージ・ジェンセンの輸入代理店を経営していたフレデリック・ルニングによって創設された北欧のデザイン賞。受賞者には海外への視察旅行が提供され、ナンナとヨルゲンは1957年にギリシャ、59年にアメリカとメキシコへを視察した。

[ⅱ] Fiber Reinforced Plastics(繊維強化プラスチック)の略称

[ⅲ] 1981年から現在まで続く秋の展覧会。家具デザイナーと家具メーカー(家具職人)が協同で作品を制作し、展示するというコンセプトは、1927年から66年まで開催されたキャビネットメーカーズギルド展と同様であるが、共通のテーマが毎年設定され、それに合わせた作品が展示される。

[iv] 棒状の木材を蒸気で蒸した後、特殊な機械を用いて繊維方向に圧縮することで曲げやすくする技術。

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fremtiden

「fremtiden」はデンマーク語で
「未来へ」を意味する言葉。
私たちの決意と願いを込めて名付けました。

携わるすべての人たちが心豊かに過ごすために
「過去〜今〜未来」への道のりを
美しいところも、今起きている課題も
すべて正直に、皆等しく伝えます。

お店を通して、育てる人、作る人、使う人
みな理解し合い
ものにまつわるすべてを、
大切に丁寧に愛着をもって作り
使い、育て、次の世代へ
繋げていくことを願っています。

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