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2025.12.25 THU

名作北欧家具を生み出したデザイナーたちの「人となり」 VOL.12 コーア・クリント(Kaare Klint)- 後編

名作北欧家具を生み出したデザイナーたちの「人となり」  VOL.12 コーア・クリント(Kaare Klint)- 後編

多田羅 景太

1975年、香川県生まれ。京都工芸繊維大学デザイン・建築学系助教。京都工芸繊維大学造形工学科卒業後、デンマーク政府奨学金留学生としてデンマークデザインスクール(現デンマーク王立アカデミー)に留学。同校では、オーレ・ヴァンシャーやポール・ケアホルムに師事したロアルド・スティーン・ハンセンの下で家具デザインを学ぶ。デンマーク滞在中、スカンディナヴィアンファニチャーフェアなどの展覧会に出展。2003年、同校卒業後に帰国。08年までデザイン事務所にて、家具を中心としたインテリアプロダクトなどのデザインを手掛ける。現在、京都工芸繊維大学の他、尾道市立大学でも講師を務める。著書に『流れがわかる! デンマーク家具のデザイン史』(誠文堂新光社)。2022年に開催された「フィン・ユールとデンマークの椅子」展(東京都美術館)において学術協力および会場デザインを担当。

前編に続いて、後編でもコーア・クリントのデザインを通して彼の「人となり」に迫りたいと思います。

二つの研究

コーア・クリントについて語るとき、必ず二つの研究が紹介されます。一つ目は過去の作品を分析し、その時代のニーズにあったデザインへとアップデートさせる「リ・デザイン」。そして二つ目が「人体と家具の相関関係」および「調査、分析に基づいた収納家具の計画」といった数学的アプローチに基づいた研究です。クリントを理解する上で前提条件のように扱われることが多い二つの研究ですが、クリントがこれらの研究に取り組むようになった背景については、あまり言及されていません。しかし、クリントの初期の代表作であるファーボーチェアに、その「きっかけ」らしきものを見ることができます。

クリントによる家具デザインの研究

ファーボー美術館

前編でも少し紹介したカール・ピーターセン設計のファーボー美術館ですが、当時スカンジナビア諸国を席捲していた北欧新古典主義[i]に則って設計されました。車1台がやっと通れるほどの狭い路地に面して建つファーボー美術館には、古代ギリシャ・ローマ時代の古典建築を思わせる意匠が各所に施されています。狭いファサードに対して奥行の深い建物の中ほどには大きな展示室があり、褐色に塗られた壁面とそこに掛けられた絵画作品、そして床面に敷き詰められた美しいモザイクタイルを、天窓から差し込む北欧特有の柔らかい光が照らします。

ファーボー美術館のエントランス
ファーボー美術館の中央展示室

クリントの挑戦

当時カール・ピーターセンの建築事務所にアシスタントとして勤務していた20代半ばのクリントは、この美術館に設置する家具のデザインを任されました。当時のデンマークには、まだ家具デザイナーという職種はなく、徒弟制度によって親方から弟子へと引き継がれた素朴な日用品としての家具や、イギリスやフランスなどヨーロッパ諸外国から伝えられたスタイルを踏襲した富裕層向けの家具が作られていました。つまり、今日私たちがイメージするデンマークらしい家具のデザインは、まだ確立されていなかったのです。まだ駆け出しの建築家であったクリントが、ファーボー美術館の展示室にふさわしい椅子をデザインするにあたり、何かしらの足掛かりを求めたのは想像に難くありません。

ファーボーチェア誕生のきっかけ

北欧新古典主義に則って設計されたファーボー美術館に調和する椅子をデザインするために、クリントがとった手は非常に明快なものでした。カール・ピーターセンが古代ギリシャ・ローマ時代の古典建築を思わせる意匠をファーボー美術館のディテールに取り入れたのと同様に、クリントは古代ギリシャ時代のレリーフなどに登場する椅子、クリスモスチェアを参考にして、ファーボーチェアをデザインしたのです。建築の世界では、古典的な建物を応用して新たな建物を設計することは珍しいことではありませんでしたが、同様の手法を家具のデザインに応用したことは、クリントにとって後の「リ・デザイン」の研究へとつながる大きな一歩となりました。

1790年頃にN.A.アビルゴーによって再現されたクリスモスチェア

計算されたデザイン

前後に大きく湾曲した脚部と、大きな弧を描く背もたれが特徴のクリスモスチェアですが、残念ながら古代ギリシャ時代に使われていたものは現存しません。クリントはこの古典的な椅子をそのままなぞらえるのではなく、美術館の展示室という特殊な環境に合わせてデザインし直したのです。まず重量的にも視覚的にも軽い椅子を目指し、座面と背もたれに籐(ラタン)を使用しました。これにより、絵画の前まで椅子を移動させて作品をじっくり鑑賞することができます。

ファーボーチェアに座って絵画を鑑賞する筆者

また、背もたれのカーブを前脚まで延長することでアームとして機能させて安楽性を高めていますが、後ろ斜め方向に大きく湾曲して床面に接地する後脚が背板を支える構造や、幅広で大きくカーブする背もたれからは、クリスモスの面影を捉えることができます。なお、背もたれのカーブの半径と座面の前面の寸法は黄金比(1:1.618)となっており、ここにも建築的なアプローチを垣間見ることができます。つまりクリントはファーボーチェアのデザインを通じて、建築の世界では一般的だった「過去の作品の応用」および「数学的アプローチ」という手法を家具のデザインに応用することに成功し、後の研究に繋げたのです。

後ろ姿からはクリスモスチェアからの影響が感じられる
備え付けのクッションを取り外した様子 [ⅱ]

100年を超えるデザイン

ハンス J. ウェグナーやボーエ・モーエンセンが誕生した1914年に発表されたファーボーチェアですが、現在までその姿をほとんど変えることなく製造され続けています。1997年にはファーボーチェアの図柄が印刷された切手(3.75デンマーククローネ)が発行されており、デンマーク国民からも広く親しまれていた様子が窺えるでしょう。長年ルッド・ラスムッセン工房[iii]において製造されてきたファーボーチェアですが、2011年の工房閉鎖に伴い、それ以降は製造ライセンスを引き継いだカール・ハンセン&サンにおいて製造されるようになりました。古典的な家具にルーツをもちながら、現在でも通用する家具デザインのノウハウが凝縮されたファーボーチェアは、デンマークモダン家具デザインの源流を象徴する一脚だといえるでしょう。

ファーボーチェアが描かれた切手

[i] 18世紀中頃から19世紀初頭にかけてヨーロッパで広まった古代ギリシャ・ローマの古典様式を規範とした新古典主義に、北欧各国の民族性や地域性が加わることによって生まれた北欧独自の芸術運動。

[ⅱ] 現行品はクッションが張り込まれており、取り外すことはできない。

[iii] コーア・クリントやモーエンセン・コッホなどによってデザインされた家具を製造していた家具工房(1896年創業)。2011年に廃業し、製造ライセンスの一部がカール・ハンセン&サンに引き継がれた。

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fremtiden

「fremtiden」はデンマーク語で
「未来へ」を意味する言葉。
私たちの決意と願いを込めて名付けました。

携わるすべての人たちが心豊かに過ごすために
「過去〜今〜未来」への道のりを
美しいところも、今起きている課題も
すべて正直に、皆等しく伝えます。

お店を通して、育てる人、作る人、使う人
みな理解し合い
ものにまつわるすべてを、
大切に丁寧に愛着をもって作り
使い、育て、次の世代へ
繋げていくことを願っています。

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