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2025.11.27 THU

名作北欧家具を生み出したデザイナーたちの「人となり」 VOL.11 コーア・クリント(Kaare Klint)- 前編

名作北欧家具を生み出したデザイナーたちの「人となり」  VOL.11 コーア・クリント(Kaare Klint)- 前編

多田羅 景太

1975年、香川県生まれ。京都工芸繊維大学デザイン・建築学系助教。京都工芸繊維大学造形工学科卒業後、デンマーク政府奨学金留学生としてデンマークデザインスクール(現デンマーク王立アカデミー)に留学。同校では、オーレ・ヴァンシャーやポール・ケアホルムに師事したロアルド・スティーン・ハンセンの下で家具デザインを学ぶ。デンマーク滞在中、スカンディナヴィアンファニチャーフェアなどの展覧会に出展。2003年、同校卒業後に帰国。08年までデザイン事務所にて、家具を中心としたインテリアプロダクトなどのデザインを手掛ける。現在、京都工芸繊維大学の他、尾道市立大学でも講師を務める。著書に『流れがわかる! デンマーク家具のデザイン史』(誠文堂新光社)。2022年に開催された「フィン・ユールとデンマークの椅子」展(東京都美術館)において学術協力および会場デザインを担当。

父親の影響で建築を学ぶ

コーア・クリント(1888-1954)は、「デンマークモダン家具デザインの父」とも呼ばれ、後のデンマークの家具デザイナーに大きな影響を残した人物です。コペンハーゲンに隣接するフレデリクスベア地区に生まれたクリントは、15歳になると父親で建築家のイェンセン・クリントの下で建築を学び始めます。その後、建築家カール・ピーターセンの事務所でアシスタントとして働くようになり、建築への理解を深めていきました。ピーターセンの事務所では、建築のみならず建築に付随する家具のデザインも担当するようになります。フュン島南部の港町ファーボーに建てられた美術館の館内で使用する家具のデザインを任されたときには、初期の代表作であるファーボーチェア(1914)をデザインしました。

ファーボーチェア

教育者として後進の育成に尽力

ファーボー美術館のプロジェクトで注目を集めたクリントは、コペンハーゲンにあるトーヴァルセン美術館の事務室で使用する椅子などを発表し、家具デザイナーとしての存在感を高めていきます。当時はまだ家具デザイナーという職種が確立しておらず、建築家や木工職人が仕事の延長で家具のデザインも行うことが一般的だったのですが、1923年にデンマーク王立アカデミーの建築学校に家具科が設立されました。クリントは翌年から講師として教壇に立つようになり、それ以降1944年に初代教授に昇進してから1954年に亡くなるまで、長年後進の育成に努めました。

古典は我々よりもモダンである

アカデミーでクリントが教鞭を執り始めた頃、ドイツの総合芸術学校バウハウスを中心としたモダニズム運動が広まりつつありました。このモダニズム運動は、隣国のデンマークへも当然波及しましたが、デンマークでは独自の進化を遂げていきます。このデンマーク特有のモダニズム運動を家具デザインの分野で先導したのがクリントでした。彼はバウハウスのように過去の伝統と決別するのではなく、むしろそれと真摯に向き合い、調査、分析、研究を行うことで新たにデザインし直す「リ・デザイン」と呼ばれるデザイン方法論を確立したのです。「古典は我々よりもモダンである」という彼の言葉は、先人が残したものに対する彼の尊敬の念の表れといえるでしょう。

デンマークのモダンチェアに影響を与えたシェーカーチェア(左)と中国の椅子(右)

リ・デザインの実践

クリントはイギリスで18世紀に流行した家具の研究を中心に行っていますが、その成果のひとつが1927年にデザインされたレッドチェアです。これは18世紀中頃に流行したチッペンデール様式の椅子をリ・デザインしたものです。座面下の貫の配置や座面のカーブなど、ほぼチッペンデール様式の椅子を踏襲していますが、背もたれの装飾は排除され、座と統一されたイメージの革張りが施されました。これにより、モダンかつ厳格な印象をもつ椅子に仕上げられています。

この椅子はコペンハーゲンの美術工芸博物館(現 デザインミュージアム・デンマーク)の講義室用にデザインされたもので、ルッド・ラスムッセン工房で作られました。赤く染められた山羊の革を張られたことから、レッドチェアと名付けられています。クリントはリ・デザインの手法を用いて、レッドチェア以外にもサファリチェアやチャーチチェア[i]など数多くの名作を残しました。

チッペンデール様式の椅子(左)とレッドチェア(右)の分割正面図

人間工学の先駆者

イギリスの椅子の研究だけではなく、クリントは人体と家具の相関関係、および収納家具のモジュールなどについても研究しています。日本でも美しい比率として古来より用いられている1:1.414の白銀比がありますが、クリントはそこから導き出された数字をインチ規格で人体各部の寸法に割り付け、家具のデザインに応用しました。当時のデンマークではメートル法への移行が進んでいましたが、身体尺度から生みされたインチ規格の方が家具のデザインには適しているとし、王立芸術アカデミーにおいてもインチ規格を使い続けたそうです。

クリントによる家具デザインの研究

リサーチに基づいたデザイン

さらに、一般的な家庭にあるシャツ、下着、靴下、ズボン、上着、コート、帽子などの衣類や寝具などのリネン類に加え、食事のシーンごとに使用される様々な食器類の平均的な寸法、各家庭の平均的な所有数などを徹底的に調査しました。この調査結果に基づいて、それらの生活用品を限られたスペースに効率的に収納できるよう、収納家具の引き出しの寸法や配置を決めたのです。1930年に発表されたサイドボード(食器収納用家具)には、従来の同程度の大きさのサイドボードと比較して、約2倍の食器を収納することができました。

サイドボード(1930)

デンマークモダン家具デザインの父

このように、クリントは過去のデザインや伝統的なクラフトマンシップを尊重すると同時に、家具のデザインに人間工学やユーザビリティーの概念を加えることで、機能的で美しい家具をデザインすることに成功したのです。このデザイン方法論は、クリントの下で家具のデザインを学んだオーレ・ヴァンシャーやボーエ・モーエンセンなどにも引き継がれ、デンマークモダン家具デザインのいわば本流として、黄金期(1940-60年代)の形成に大きな影響を及ぼしました。これらの功績から、コーア・クリントは「デンマークモダン家具デザインの父」といわれています。彼の存在がなければ、デンマークの家具の在り方は大きく異なっていたに違いありません。

スフィリカルベッド(1938)とディテールの計算式

[i] 北欧家具の名作を生み出したデザイナーたちの「人となり」 VOL.10 ボーエ・モーエンセン(Børge Mogensen)- 後編

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fremtiden

「fremtiden」はデンマーク語で
「未来へ」を意味する言葉。
私たちの決意と願いを込めて名付けました。

携わるすべての人たちが心豊かに過ごすために
「過去〜今〜未来」への道のりを
美しいところも、今起きている課題も
すべて正直に、皆等しく伝えます。

お店を通して、育てる人、作る人、使う人
みな理解し合い
ものにまつわるすべてを、
大切に丁寧に愛着をもって作り
使い、育て、次の世代へ
繋げていくことを願っています。

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