コンテンツ・テキストデザイナー 安達 剛士
1982年、鳥取県生まれ。
北欧インテリアショップに10年以上勤務し、鳥取、東京で約8年間店長を経験。北欧の暮らしにある本質的な豊かさに魅了され、自分らしさを楽しめる暮らし、コーディネートを多数手掛けた。
2022年より故郷の鳥取に戻り有限会社フォーリア・インテリア事業部を設立。インテリアコーディネーター資格を持ち、空間ディレクションの他、暮らしを楽しむ発信を行うなど広くインテリアに携わる。
2児の父でありながら、子どものように好奇心旺盛なインテリア愛好家。
目次
日常に馴染む北欧の名作〈スツール 60〉
北欧家具とは知らなくても、きっとどこかで見覚えのあるこのデザイン。〈スツール 60〉は、これまでに数百万脚が販売されてきたという実績からもわかるように、世界で最も知られる北欧家具のひとつです。フィンランドが誇る建築家、アルヴァ・アアルトが生み出した究極にシンプルなスツールは、その後の人々の暮らしだけでなく、家具史にも多くの影響を与えました。そんなプロダクトが誕生した背景と、デザインの魅力を深掘りします。

フィンランドから世界へ。世の中にインパクトを与えたスツール
〈スツール 60〉が初めて製品として発表されたのは、1933年にロンドンの百貨店で開催された展示会『Wood Only』でのことでした。アルヴァ・アアルトの作品に加え、他のフィンランド人デザイナーによる家具も高い評価を受け、生産が追いつかないほどの人気を博しました。〈スツール 60〉は、1935年にアアルト自身が設計を手掛けたヴィープリ図書館へ大量に置かれたことでも知られています。同年、こうした生産や物流面での課題に対応し、さらに海外展開の体制を整えるため、アルヴァ・アアルトをはじめとするメンバーで設立したのが、現在も北欧を代表するブランド「Artek(アルテック)」です。

フィンランドらしさが詰まったデザイン
1917年にロシアから独立したフィンランドにとって、国としてのアイデンティティを確立することは重要な課題でした。建築家アルヴァ・アアルトは、「デザイン」こそがその鍵になると考え、“すべての人の暮らしに良いデザインを”という理念を掲げます。地下資源に乏しい自国でも豊富に調達できる白樺(バーチ)を活用し、量産化することによって手頃な価格で購入できる家具を実現しました。その象徴ともいえるプロダクトが〈スツール 60〉です。このスツールは、国内外においてフィンランド・デザインの認知を大きく高める役割を果たしました。

無垢材の可能性を広げた新しい技術
〈スツール 60〉の注目すべきポイントは脚部構造にあります。その真髄とも言えるのが、「L−レッグ」と呼ばれる無垢材の曲木技術。これは、家具の歴史を語る上で欠かせない画期的な発明のひとつです。無垢の角材にスリットを入れ、そこにベニア板を挟み込むことで曲げ加工を可能にしたこの技法により、シンプルで美しく、しかも高い耐久性を兼ね備えた木製家具を大量生産できるようになりました。その後「Y−レッグ」や「X−レッグ」といった新技術の開発に取り組んだアアルトは、世界の多くのデザイナーにも影響を与えました。
(→良質な家具が人々に届く意義 -曲げ木技術「L-レッグ」)

暮らしにフィットする、選べるバリエーション
家具を選ぶとき、多彩なバリエーションがあることは大きな魅力です。〈スツール 60〉が人気を集める理由として、その豊富なカラーリングが挙げられるでしょう。また、スタッキング(積み重ね)することができる機能性も特長で、その佇まいには、手軽さと親しみやすさが感じられます。輸送コストも抑えることができる組み立て式で、構造は脚を座面に取り付けるだけのシンプルなもの。それでいながら、しっかりとした安定感を感じる座り心地を実現しています。4本脚の〈スツール E60〉も展開されており、シーンに応じた選択肢がさらに広がります。

〈スツール 60〉が語る、未来へ繋ぐ価値
“多くの人々に等しく寄り添う”——アルヴァ・アアルトとアルテックが大切にする、普遍的で民主的な価値観を象徴する存在が〈スツール 60〉です。まさに北欧家具のアイコンともいえるプロダクト。素朴でありながら洗練されたこのデザインには、人々の暮らしへの理想をかたちにした、歴史を物語るエピソードがありました。そんな想いが込められた家具とともに過ごす日々は、物理的なものだけではない心の豊かさをもたらしてくれるでしょう。ヴィンテージ市場でも高い人気を誇るこのスツール。それは私たちが育てていく数十年後の世界を映し出しています。1脚を手にすることがその第一歩となるのです。

・『アルヴァ・アアルトのインテリア 建築と調和する家具・プロダクトのデザイン 』/ 小泉隆・著 / 学芸出版社(2020年)
・Decades 2ND CYCLE パンフレット / アルテック(2023年)