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2024.12.05 THU

ブランド紹介 〜House of Finn Juhl(ハウス・オブ・フィンユール)〜

ブランド紹介 〜House of Finn Juhl(ハウス・オブ・フィンユール)〜

コンテンツ・テキストデザイナー 安達 剛士

1982年、鳥取県生まれ。
北欧インテリアショップに10年以上勤務し、鳥取、東京で約8年間店長を経験。北欧の暮らしにある本質的な豊かさに魅了され、自分らしさを楽しめる暮らし、コーディネートを多数手掛けた。
2022年より故郷の鳥取に戻り有限会社フォーリア・インテリア事業部を設立。インテリアコーディネーター資格を持ち、空間ディレクションの他、暮らしを楽しむ発信を行うなど広くインテリアに携わる。
2児の父でありながら、子どものように好奇心旺盛なインテリア愛好家。

偉大なデザイナー、フィン・ユールの意思を受け継ぐブランド

デンマークモダン家具の歴史に燦然と光る功績を刻んだ建築家、そしてデザイン界の巨匠でもあった、フィン・ユール。彼の遺したデザインは、今でも最上級の賞賛を受けています。そのデザインを受け継ぎ、さらに世に広めているのが、ブランド〈House of Finn Juhl〉です。ひと目で魅了される美しいフォルム、一瞬で感じ取ることのできる品質の高さ。たった1台の家具がそこにあるだけで放たれる、他を圧倒するようなスケール感。過去と現在を繋ぐそんな逸品が、世に送り出される裏側に迫ります。

運命を変えた転機

イヴァン・ハンセンとハンス・ヘンリック・ソーレンセンは、1990年、ハンス・ヘンリックの母親が持つ地下室にオフィスを構え、家具メーカーを立ち上げました。そんな彼らに1999年、フィン・ユールの未亡人ハンネ・ヴィルヘルム・ハンセンから、フィン・ユールが遺したデザインのひとつを制作できないかという依頼が入りました。それは、フィン・ユール没後10周年の記念展示をするためのソファでした。その仕上がりはハンネにも高く評価され、イヴァン・ハンセンとハンス・ヘンリック・ソーレンセンの2人は彼女から確固たる信頼を得るに至りました。

フィン・ユール没後10周年の記念展示として制作された「57 SOFA」

そんな彼らは、2001年、ハンネ・ヴィルヘルム・ハンセンから、フィン・ユールの家具製造、復刻生産の独占的権利を委託されることとなります。それが、ブランド〈House of Finn Juhl〉のはじまりです。彼らは創業当初から、“良質な家具デザインに対する真の情熱に根ざした会社をつくる”というを使命を掲げ、機能美と卓越した職人技が融合した“芸術”ともいえる家具デザインを追求していました。彼らにとって、フィン・ユールのデザインを扱えることは千載一遇のチャンスであり、そのデザインを受け継ぐという重責も担うこととなったのです。

デンマークモダン家具に新風を吹かせたフィン・ユール

デザインの“遺産”を受け継ぐということ

フィン・ユール作品の復刻において、彼らは偉大なる巨匠へ最大限の敬意を払います。本来、デザイナー作品の復刻にあたっては、オリジナルを忠実に再現するというのが基本です。ただ、彼の作品の特徴である極めて有機的なフォルムは、当時製作にあたった家具職人が細部に独自の表現を足したり、フィン・ユール自らがその場でオリジナルデザインに修正を加えたりすることもあったといいます。その変更は図面には記されておらず、現存するヴィンテージ品とオリジナル図面に相違が見られることがあるのも、そういった理由からです。そんな課題に彼らはどう向き合っているのでしょうか。

1938年発表、幻の椅子とも称された「グラスホッパーチェア」

共同創設者のひとり、ハンス・ヘンリク・ソーレンセンはこう語っています。

フィン・ユールの家具を再発売するときは、いつも彼がもともと何を意図していたのかを解明しようとします。

−中略−

私たちは彼の立場に立って、彼が望んでいたことを想像し、意図した表現を実現するために最善を尽くさなければなりません。正確な答えは存在しません。」

彼らは、オリジナルの図面以外にも、フィン・ユールの自邸、個人コレクション、美術館所蔵のオリジナル品などの分析に加え、時に「フィン・ユールならどうしただろう」という想像も働かせながら、デザインの開発や復刻を行なっています。そしてその裏には、これまで20年かけてフィン・ユール作品を復刻させる中で培われてきた自信があるのです。

コペンハーゲ郊外にあるフィン・ユールの自邸

時を重ねたからこそ甦る、フィン・ユールの作品たち

フィン・ユールが活躍した時代、彼のデザインには実現困難なデザインや、ごく少量でしか生産できないデザインも存在しました。それから時は流れ、技術革新が進み、そんな眠っていたデザインも遂に製品化や復刻される時代が訪れました。最新のテクノロジーと卓越した職人技を融合させたものづくりから生まれるプロダクトは、高品質の極みといえます。House of Finn Juhlが扱っているフィン・ユールのコレクションの数は、50以上にのぼります。

そんな時代の到来をフィン・ユール自身も予期し、こんな言葉を残していたといいます。

「期待していた開発の一部が実現されず、始まりに過ぎなかったという事実に絶望してはならない。おそらく、必要または妥当であれば、時が熟した時に将来いつか復活するだろう。」

美しさを評価されながらも、あまりにも繊細で実際に使うには障壁のあったデザインが、長い年月を経てようやく日の目を見るに至ったのです。

発表から61年が経った2001年に復刻生産を開始した「ペリカンチェア」

最高品質のプロダクトが生まれる背景

伝統を尊重し、徹底した品質管理のもと家具製造を行うのは、今日の私たちの暮らしを豊かにすることだけが目的ではなく、次世代へも受け継ぎ楽しんでもらうことにも目を向けているからです。そこに必要な耐久性を追求するためにこだわるのが、「最高の素材」そして、「優れた職人の技術」です。

House of Finn Juhlでは、木材、レザー、ファブリック、金属類など、それぞれ厳選した素材を吟味することで、「耐久性」と「経年での風合い」のバランスを保っています。一方で、それを使って形にしていく職人の育成もまた重要課題です。House of Finn Juhl製品のほとんどはデンマークで製造されており、元来、デンマーク西海岸のリンケビングにある施設を拠点としています。それに加えて、2022年にヴァイエンにある100年以上もの歴史を持つ家具工房〈Schou Andersen Møbelfabrik〉も買収しました。無垢材家具製作において深い知識を備える工房が加わったことで、一層の生産拡大を図る土壌を整えました。

そして、このブランドのものづくりにおける特徴として挙げられるのが、最も複雑な形状の木製フレームは日本で作られているという点です。山形にあるその工場は、フィン・ユールの繊細なディテールに強度を持たせて製作することのできる技術を持っていました。生産コストのみを考えると選ぶのが難しい提携先でありながら、その職人たちが持つ確かな技、情熱と誇りに魅了され、パートナーとして選ぶに至った経緯があります。かつてフィン・ユール自身もまた、日本からも影響を受けていた人物でした。

House of Finn Juhlのものづくりが持つ意義

イヴァン・ハンセンとハンス・ヘンリック・ソーレンセンの2人が事業を初めて以降、30年ほどの間にデンマーク国内でも多くの家具工場が閉鎖しました。その数は数百件といわれるほどです。そんな状況下で、多くの家具メーカーは労働コストの低い海外へ生産拠点を移しました。一方で、デンマーク国内での製造にこだわり、また、海外でも同じ目線でものづくりができるパートナーを厳選するHouse of Finn Juhlの取り組みは、そうした時代の潮流へのアンチテーゼでもあるのです。

歴史的な“遺産”ともいえるフィン・ユールの作品が、今こうして私たちの手に届けられる裏には、それを守り続ける人々の熱い想いが込められています。誰もが認め、憧れる、その姿だけでは気づくことのない真の魅力。長く使うことのできる家具は、人々が使い受け継ぐことで、さらにその価値を深めて行くのです。


参照:House of Finn Juhl | Iconic Furniture Crafted to Last

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fremtiden

「Fremtiden」はデンマーク語で
「未来へ」を意味する言葉。
私たちの決意と願いを込めて名付けました。

携わるすべての人たちが心豊かに過ごすために
「過去〜今〜未来」への道のりを
美しいところも、今起きている課題も
すべて正直に、皆等しく伝えます。

お店を通して、育てる人、作る人、使う人
みな理解し合い
ものにまつわるすべてを、
大切に丁寧に愛着をもって作り
使い、育て、次の世代へ
繋げていくことを願っています。

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