コンテンツ・テキストデザイナー
安達 剛士
1982年、鳥取県生まれ。
北欧インテリアショップに10年以上勤務し、鳥取、東京で約8年間店長を経験。北欧の暮らしにある本質的な豊かさに魅了され、自分らしさを楽しめる暮らし、コーディネートを多数手掛けた。
2022年より故郷の鳥取に戻り有限会社フォーリア・インテリア事業部を設立。インテリアコーディネーター資格を持ち、空間ディレクションの他、暮らしを楽しむ発信を行うなど広くインテリアに携わる。
2児の父でありながら、子どものように好奇心旺盛なインテリア愛好家。
「色彩感覚」、「心理」、独自の感性をもとにつくる空間
1998年9月、デンマークのトラポルト美術館で開催された『光と色』展は、家具デザイナー、ヴァ―ナー・パントンにとっての最後の展覧会となりました。鮮やかな配色でそれぞれに表現された8つの空間。それは、色、光という彼の空間づくりに欠かせない要素に加え、素材、形が心身に及ぼす影響を、感覚的に体験できるインスタレーションであり、人々に強いインパクトを残しました。画家を志しながら、父の反対でその道を断念した若き日のパントン。建築へと進んだ彼が手掛ける空間には、いつも「色彩」へのこだわりが強く表れています。
色彩と人の感情における関係性について、パントンはこのように語っています。
「空間を作るときの色彩計画は非常に重要です。赤が赤、青が青であるというだけでは十分ではありません。私はいつも、スペクトルの中で隣り合う色彩群のいくつかをひとつの空間に織り交ぜて使います。そうすることで空間の色温度を自在にコントロールし、独自の世界観を作り出すことができます。」
デンマークデザインの異端児とも評される彼の作品は、独特の感性と、裏打ちされた理論によって生み出されていることが窺えます。
強力なパートナーとの出会い
1958年に誕生した「コーンチェア」は、パントンが名を馳せるきっかけとなった初期の作品です。彼は、その数年前から、トーマス・リートフェルトの名作「ジグザグチェア」のリ・デザインに取り組んでいました。そのデザインは、アルネ・ヤコブセン事務所在籍時にアントチェア開発に携わった経験を活かし、成形合板での一体型キャンチレバーの椅子「Sチェア」として発表されました。その後継モデルであり、1967年に発売されたプラスチック一体成型の椅子「パントンチェア」は、彼の代名詞となり、名実ともに後世に遺る作品となります。しかし、そこに至る背景には、語り切れないほどの苦労がありました。
パントンがプラスチック製チェアの開発に取り組み始めたのは1960年。彼はヨーロッパ中を回って15~20社に及ぶ家具メーカーに製造の相談を持ち掛けましたが、全て断られている状況でした。その中でヴィトラにも訪問しており、こちらも回答は保留となっていました。ヴィトラ創業者のウィリー・フェルバウムは、プラスチック製チェアの開発自体に興味は持っていたものの、当時のプラスチックはまだバケツ程度の強度しかないとする認識が一般的だったこともあり、協力へ二の足を踏んでいました。実際にその試作品は、座ることができるレベルではなかったそうです。しかし、ウィリーからその出来事を聞いた息子、ロルフ・フェルバウムは、すぐにパントンに会いに行きました。
妥協なきパントンチェアの開発
ヴィトラの開発責任者とともにパントンを訪ねたロルフ・フェルバウム。その報告を受けたウィリー・フェルバウムは、まだ見ぬ“プラスチック一体成型チェア”の製品化を決めます。しかし、1963年からはじまった製品開発は、当時の技術では不可能ともいえる挑戦でした。それでも試行錯誤を重ね、職人の手作業によりガラス強化繊維(FRP)にポリエステルを塗り込むという方法で、プロトタイプ10脚の完成まで漕ぎ着けます。そして、本格的に発売されたのは1967年でした。これが世界で初めてのプラスチックによる“一体成型キャンチレバー”のチェアです。遡ってみると、取り組み開始から発売まで、実に7年の歳月を費やすこととなりました。
“パントンチェア”は、個性的なカラーリングを纏い、世の中にセンセーショナルなインパクトを与えました。ただ、パントンチェアが目指していたのは、あくまでも一般の人々が座るチェアです。そのためには強度だけでなく、コストも重要です。当時の技術ではまだまだ量産化への道のりは遠いものでした。
そこから長年かけて、素材、製造方法の改良を図り続けた結果、ついに念願の量産化が可能となりました。しかし事態は一転、新たに採用したポリスチレン素材において経年劣化や耐候性の低さなどの問題が判明し、1979年に一旦製造中止という決断を下さざるを得なくなります。
パントンチェア量産化への道
それからまた素材を変更し、再び製造されることとなったパントンチェア。強度の高い硬質ポリウレタンへと素材を戻し、技術革新とともにそれはさらに数年で一層の進化を遂げました。そして最初の発表から30年が過ぎた1999年、ポリプロピレン素材の導入によって、ついに手頃な価格での量産化を実現します。量産化は、前年に世を去ったヴァ―ナー・パントンにとっての生涯の目標のひとつでもありました。
パントンチェア 素材の変遷
1967年/ ガラス強化繊維(FRP)
1968年〜1971年/ 硬質ポリウレタン素材
1971年〜1979年/ ポリスチレン素材
1983年〜1999年/ 硬質ポリウレタン素材へ戻す
1999年~/ ポリプロピレン素材導入
全てのはじまりについて、生前のパントンはこう語っています。
『ある日、私のもとを訪ねたヴィトラ創業者の息子、ロルフ・フェルバウムが、パントンチェアの試作品を指さして、「どうしてこの椅子は製品化されていないんだ?」と尋ねました。そこで私は、「15から20社のメーカーが製造に挑戦しましたが、さまざまな理由から諦めたのです。」と答えました。著名なアメリカ人デザイナーの言葉に、「座れない椅子は、椅子ではない」とありますが、この試作品は椅子としてまだまだ不安定な状態でした。
すると、ロルフ・フェルバウムはすぐさまヴィトラのエンジニアであるマンフレッド・ディーボールトに電話をかけたのでした。これが後に20世紀のデザインアイコンとなる、パントンチェアが出来上がるまでの長い道のりのスタートとなりました。ロルフ・フェルバウムの存在無くして、パントンチェアは生まれなかったのです。』
一人のデザイナーとメーカーが、ともに手を取り歩んだ40年。デザイナー本人が亡き今でも、その熱は冷めることなく発信されている。デザインへの飽くなき追求が不可能を可能にした1脚は、人の手から手へ受け継がれ、語り継がれ、きっとこの先も変わらず続いていくデザインとなることでしょう。
参考:
・Vitra / 色に溢れた新世界
https://www-vitra-com.translate.goog/en-cn/magazine/details/colouring-a-new-world?_x_tr_sl=en&_x_tr_tl=ja&_x_tr_hl=ja&_x_tr_pto=sc
・Vitra / Panton Fantasy Landscape -ヴィトラ ショートストーリー
https://www.vitra.com/en-gb/magazine/details/panton-fantasy-landscape
・Vitra /「パントンチェア」誕生のストーリー マリアンネ・パントンへのインタビュー
https://www.vitra.com/en-gb/magazine/details/please-have-a-seat
・Vitra / パントンチェア -ただ一人、信じる人がいれば道は開かれる
https://www.vitra.com/ja-jp/page/panton-chair